平成の市町村大合併

 地名には歴史が籠められている。たかが数十年の利害だけで濫りに変更したり無くしたりすべきではない、という考え。
 たしかにそのとおりだと思うのだが、少し引いて見ると、それ(地名)は絶対に現役であり続けなければならないのか、記録として残っているだけではダメなのか、という疑念も湧く。
 暗黙知なら喪われてしまうだろう。しかし、いったん言明された知はもはや喪われることはない、という視点は、甘いのだろうか。

核実験

ふーん。
北朝鮮って、そんなにアメリカに追い詰められていたんだ・・・・。
アメリカはそれほどまでして北朝鮮を叩きのめして置きたいんだ・・・・。

国際情勢を読み違えないためには、このような視点が必要である。
それともうひとつ。
自国内で出来ないことでも外国に対してなら、堂々と行える。
人種差別をしたくてうずうずしているアメリカンマインドに、黄色人種は格好のターゲットと映るらしい。
もちろん、すべてのアメリカ人がそうだというわけではないが。

靖国とデモクラシー

 「靖国問題」が喧しい。
 A級戦犯分祀せよ、という意見に対し、


 「A級戦犯と一口に言うが、所詮は東京裁判アメリカが勝手に人選したものだ。A級戦犯=真の戦争責任者ではない。」


 なるほど、確かにそうだ。ならば、予算と充分な調査期間を取って特別裁判を開いたら、どうか。これは大切な問題であり、いまからでも遅くない。というか、いままで清算が行われなかったほうが、問題である。ちょうど盛り上がっている機運に乗って、是非やるべきだろう。なんせ日本人は旬のネタしか扱うことができないのだから。
(好むと好まざるとにかかわらず、季語にしか反応しないという体質は、日本人の美徳であり同時に欠陥である)


 総理としての立場と個人の心情とを混同し、国益を損ない続けている小泉を、いまさら批判する気にもなれないが、もし特別裁判で清算が行われるような流れになるとすれば、小泉の靖国参拝は、災い転じて福となすの類で、結果論として最善だったことになるだろう。さすがは、大いなるデモクラシーの御業が創りたもうた総理大臣である。


 しかし、デモクラシーの悪い面ばかりを見ていても精神的に良くないから、トクヴィルでも読んで、デモクラシーの可能性のほうを、すこし考えてみようかと思い、ふらっと近所の本屋へ。そこで、靖国問題を扱った、とある本を立ち読みしたところ、全く酷い内容だった。たとえば、「いまごろになって戦争責任の所在を明らかにすることなど不可能だ」と、のたまう。
(著者はノンフィクション作家らしいが、それにしては貧弱な洞察力や甘い歴史認識ゆえの困った記述が随所に見られる)
 小泉が正しかったかどうか、小泉を間接的に選択した現代日本有権者どもが正しかったかどうかは、後世の人々が裁くことである。先の戦争で、いったい誰に責任を負わせるべきかを決めるのは、後世の人々である現代の有権者ども以外の誰が居るだろう?
 そしてそれを歴史という。


 ところで、靖国を全面的に正当化したがっている輩は、しきりにアーリントン墓地との類似を言うが、いったい「アーリントン墓地で逢おう」などといって死んでいったアメリカ人が居るだろうか。寡聞にして知らないが。
 靖国にしか逝き場のなかった霊が何十万と居て、だからこそ靖国はひたすら哀れで悲しい場所なのだ。日本人が肝に銘じておきたい、極めて得意な場所なのだ。そういう意味で、靖国には大いなる存在意義がある。ただし、戦争責任者たちがそこに祀られていては、意義も激減する。いちばん残念なのは、そこである。


 とはいえ、風化しがちな戦争の惨禍について、このように喚起する力を靖国が持っているのは、あるいはそのアンビバレントな現在の状態ゆえであるのかも知れず、メタ・ジャーナルな視点からすると、現状の靖国は逆説的な意味で「よし」とされるべきなのかも知れない。


 まあ、なんにせよ「A級戦犯分祀論者」は今後、妙な揚げ足を取られないように、「真の戦争責任者分祀論者」を名乗ってもらいたいところです。


 ちなみに東条家ってのは、いまだにある種の権力を有しているようで、過去にあった分祀の動きも、なかば東条家が潰した経緯さえあるらしいのだが、死なずに済んだ多くの者を死に追い遣った「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」という、自ら公布した『戦陣訓』を、自ら実践することもできず処刑された東条英機の(いや言い訳は要らない)、そのゆかりの者たちには、なにも言う権利は無いと、まっとうな日本人ならば思うはずだが、残念ながら、これも寡聞にして耳目に触れない。
(言い訳は要らないが、東条についてはもっと詳細に分析する必要があると思う。今後、同じ轍を踏まないために)


 さっきテレビで、「国が建てた社ゆえ、国が責任を持って対処すべきだ」という野中広務の発言を聞き、素直に納得した。